五月病
気分が落ち込むと本当に何も出来なくて困る。
布団で寝ながらインターネットをやるか、ぼーっと自己嫌悪的な考えを巡らせるかだ。
そういった現実逃避は、現実をより過酷なものにし罪悪感で精神を蝕んでいくばかりである。
大学院に入学し気分を改めたつもりが、早速やりたくない病に陥ってしまった。
デザインのことを考えるだけで体調が悪くなる。
やはり私はデザインが嫌いなのだろうか。
作ることが嫌いなのだろうか。
何故やりたくないのだろうか。
上手く作れないから?
人の前で発表するのが恥ずかしいから?
言葉にしてみればこんなこと誰でもそうでしょといった感じだが、これだけではないような拒絶反応を示してしまう自分が理解できない。
情熱が追いつかないのか。
しかしこのような状態では困るのだ。
自主性が命の大学院においては死活問題だ。
教授の目線も冷ややかなものになってきた。
気分が乗らなくて〜…
何をしたらいいか分からなくて〜…
決められなくて〜…
そんな言い訳が通用するところではない。
私がもし教授だったならばふざけるなと言いたくなるだろう。
やる気がないならやめろと。
学生は常に悩んでいるものだ。
悩まなくていいことをテーマにしても仕方がない。
問題がないことを解決する必要はない。
しかしやりたくなくて悩むことと、やりたい問題が解決出来なくて悩むことでは大違いである。
自暴自棄状態が続いているので早く解決したい。
情緒不安定なので出来ません、など社会人になれば通用しない。
最初の5分を切り抜けられれば続けられるのだ。
そのはじめの一歩が辛い。
机に座るところから難しいのだ。
昔の自分から見てみれば考えられないことだ。
夏休みの宿題を夏休みが始まる前に終わらせる性格だった頃の私は、きっと今の私を見て泣いているだろう。
惨めで涙も出ない。