デザイナーは末端の仕事なのか
思った通り継続は難しく間が空いてしまった。
文章を書くことは自分と向き合うことなので、落ち込んでいる時や現実逃避をしたい時には避けてしまいがちだ。
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この二ヶ月間では卒業制作展、卒業式、入学式と大きなイベントが立て続けにあったせいかあっという間に過ぎた。
またそれ以外のイベントで、少し大変な怪我をしてしまい心身共に大波に乗っていた。
新学期が始まり環境が変わると疲れるのは当たり前だが、私は大学院(それも同じ大学の)への進学で、教授は見知った人だし友人もいるのでストレスは少ない方だと思う。
デザイン事務所や会社へ勤め始めた行った他の友人達はかなりストレスフルな様子で、体調を崩したり精神面に打撃を受けている人もいて心配だ。
デザイン事務所や少人数の会社では、人間関係がうまくいかなかったりすると短いスパンでは入社して3ヶ月と経たず辞める人もいる。
デザイン業界は転職が珍しいことではないので、終身雇用的な事を考えて職探しをしている人はあまりいない。
それ以前にお給料や保険のことを最重要視している人がほとんどいない。
やりがいや自分に合っていることを探し求めて、それが得られそうならば過酷な環境には目を瞑る。
一見情熱的で夢のある生き方だが、健康には厳しい状況に傾きやすいのかもしれない。
私生活を犠牲にしてでもいいものを作る。
そのくらいの心意気は必要かもしれない。
しかし実際、それだけのものを作れているのだろうか。
今の日本のデザインを関係者以外の人はどう思っているのだろう。
街中にある、パッケージやポスター、CMなど、溢れかえるデザインされたもの達を見て購買欲だけでない情動を動かされる人がどれだけいるだろう。
そこに美しさや豊かな感情を呼び起こさせる何かがきちんと存在しているだろうか。
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この間とある集まりで、誰もが知るメーカーのディレクターに会う機会があった。
そこでその人にこのようなことを言われた。
「君たちには悪いけれど、デザイナーは末端だからね。お金も時間も制限が多い」
「コンペ(案を皆で出し合い良いものを選ぶこと)ってあるけど、あれは大人の事情で決まるんだよ。作品の質なんて、言っちゃ悪いけどある程度のラインを越えていればいいんだよ。大人の事情だよ」
他にも色々と実態を教えてもらったが、この二つは特に印象に残っている。
デザイナーの権限は低いということ。
使われる立場だということ。
デザインは質で選ばれるのではないということ。
お金やコネで決まるということ。
勿論全ての現場がそうではないはずだ。
デザイナーが率先して働いている所もあるだろうし、厳正なコンペが行われている所だってあるに違いない。
しかし、一方でこのような状況が沢山あることも事実だと思う。
教授から、デザイナーと上層部との対立の話を聞くこともあったので、理解していたつもりだった。
ただ実際働く人から直接そういった話を聞いたのは初めてだったのでショックを受けたのは事実だ。
おそらくこの現実はいずれ働き始めれば知ることになっていたのだとは思うが。
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なんだ、やっぱり日本は芸術やデザインに理解がない。
分かってないやつらばかりだ。
(一応)デザイナー側の人間として、こう思ってしまうことがある。
周囲の友人達も口にすることがある。
これは難しい問題で、日本の文化や社会の在り方、そういう所にまで食い込むテーマだと思う。
芸術やデザインとは何か?
どのように存在しているのが正しいのか?美しいのか?
私自身勉強不足なこともあり、世間に真っ向勝負して、デザインはもっとこうあるべきだ!こういう理由で尊重されるべきだ!
と声高に主張する勇気や術を持てていない。
そもそも主張する必要性があるのかも正直に言うと分からないのだ。
世間の人達がもっとデザインに関心を持つようになれば、何が変わるのか。
何が良くなるのか。
誰が喜ぶのか。
私如きの大した人間でもないデザイナーもどきに何が出来るのか。
誰が聞いてくれるのか。見てくれるのか。
私は本当に真剣にデザインについて考えているのか。
社会の役に立つために行動できているか。
自分本位の主観的な生き方をしているのではないか。
不安ばかりが胸を埋め尽くす毎日だが(昔から根暗なので)、取り敢えず今は学生生活をきちんと送ることを心の軸として無駄なく時間を過ごしたい。
若い時間を失うのはあっという間だろう。
その最中にいる今ですらそれをひしひしと感じている。