ひとりよがり

無気力美大生を経て社会人となったデザイナーの独り言

八つ当たりは構って欲しい気持ちの裏返し

私は時々自分の人生がいかに失敗であるかを親にぶつけてしまうことがあった。

幼い頃のしつけが厳しすぎたからルールばかりを尊重する面白みのない人間になってしまっただとか、バイトをさせてもらえなかったから好きなものが自由に買えなかっただとか、教職を取らされたせいで就活に支障が出ただとか…

このような被害者ぶったことだけではない。

なんで美大なんかに入ったんだろう、才能もない、能力もない、人格もない、楽しくない、人生これから辛くなるばかりだね…
私はこれから駄目な人間になっていって友達からも捨てられてしまうかもね、この歳で彼氏が出来ないから結婚も無理かもしれないね…

このように自業自得でしかないことを当り散らすこともあった。

それ以外にも覚えていないような下らないことでチクチクと攻撃したことを覚えている。

自分がいかに落ちぶれているかを思い知らせることで親に後悔させたかった。
子育てに何より力を入れていることを分かってわざとそんなことを言ったのだ。

あなた方の教育は失敗でしたよと遠回しにアピールした。それが1番ダメージを与えられると分かっていたからだ。

自分が正しいと信じてやまない(ように当時は見えていた)親の傲慢さだとか、高圧的な態度に反発する気持ちでいたので、それが間違っているとは少しも思わなかった。
私は被害者なのだからと。

八つ当たりをしているという意識すらなかった。
正当な主張をしていると思っていたからだ。


私は結局、親に八つ当たりをしてどんな返事が戻ってくることを期待していたのだろうか?


しつけが厳しすぎてマニュアル人間になってしまった!
「ごめんね、やりすぎだったよね。もっとあなたの意志を大切にしてあげればよかったね」

バイト禁止のせいで好きなものが買えなかった!
「ごめんね、もう大学生なのに親が口出しするなんておかしかったね。自由に働いて好きなものを買ったらいいよ」

教職課程のせいで就活に失敗した!
「ごめんね、教師にはなりたくないって言ってたのに強制させるようなことをしてしまったね。やりたくないことをさせるのは可哀想だったね」

人生これから辛くなるばかり!
「そんなことないよ。今までお父さんとお母さんとの約束をちゃんと守ってきたのだから。辛かった分これからいいことがたくさんあるに違いないよ。我慢を沢山させてごめんね」

落ちぶれて友達からも捨てられる!
「落ちぶれてなんていないよ。学校にもちゃんと行ったじゃない。大変だった教職課程も取って真面目にやってきたじゃない。その分の見返りがきっとあるよ。無理をしてやらせてしまってごめんね」





「ごめんね」




私は結局この言葉を言って欲しかったのだと思う。

なんでこんなことをさせたの!
なんでこんなことを言ったの!

と聞くと、これこれこうだったからよ、あなたのためだったのよ、駄目なものは駄目なのだから、といったように理由を言うだけで、自分が間違っていたかもしれないという返事を聞いたことは一度もなかった。

親が正しい、子どもは間違っている。
これがいつもの方程式だった。


親に言われてそうすることを選んだのは自分でしょう。反対することも出来たでしょう。だから最終的にはあなたが悪いのよ。


なんて勝手な人達だろうと思った。
強制させるようなことを言いながらそれを正当化するのかと。
押し付けておいて受け取った方が悪いと言うのかと。

この人達はおかしい!間違っている!
こんな一方通行でしかない教育は理不尽だ!

子どもは親の期待に応えようとする生き物で、私もそうしようとしたのに。
今までの健気な忍耐はどうなるのか?
報われる日が来ると信じていたし、親を幸せにできると信じてやってきたのに…

親のことは無視してよかったのか。
私にとって絶対的だったその生き方は間違っていたのか。
なぜもっと早く気が付かなかったのだろう?

いや、本当に無視することをあなた方は許しただろうか?
反発することを許さなかったのに、その発言は矛盾していないか?

嫌なら逆らえばいいなどと、どの口が言うのか…


一度被害者として自分を固定してしまうと、どんどん加害者の粗を探してはその立場を強くしてしまう。

そして自分の正当さを盾にすることで、相手を攻撃することに疑問を抱かなくなってしまう。

傷付けられたから傷付けてもいいと。
目には目を、歯には歯をである。

私が苦しむ原因は親である。
だからその諸悪の根源を正さなくては。

私の場合は八つ当たりがその方法だった。

言葉で勝てた経験がなく、真っ当な話し合いをする勇気もなかったので、さらりと言葉の中に毒を混ぜこみ投げ付けたのだ。

自虐は親の子を思う気持ちを傷付ける最大の方法だ。

親が私の幸福を思って行動していることは分かっていた。
ただ親の理想像を私に当てはめようとした時にずれが生じてしまっただけだ。
根底には愛があることを確信して実は安心していたから八つ当たりが出来たのだ。

苦しさや悔しさ、失望感や虚無感、無力感…
その気持ちを分かって欲しかっただけだった。

意思疎通をちゃんとしたかった。
話を聞いて認めて欲しかった。


確かに親には間違っているところがあったかもしれない。
いや、多分あったのだと思う。
被害者意識を抜きにしても。

では、自分はどうだっただろうか?

何か意に反することがあった時、本気で反対し説得しようとしただろうか?

面倒だから言うことを聞いておけばいいと、どこかで逃げていなかったか?

大人しくいいこちゃんでいる自分の生き方が賢いのだと思い上がってはいなかっただろうか?

間違っていたのは親だけだったのか?


今思えば、八つ当たりは構って欲しい気持ちの表れだった。

絶対に見捨てられないはずだという親との繋がりを確信していたからこそ出来たことだ。

贅沢な甘えだった。

私が親を許すためにやっていたつもりだったが、私が許される立場だったのだ。

大学生にもなってようやくこんなことに気が付く自分の未熟さは一体どんなに愚かなものであったか。

大きな反抗期がなかった分じわじわとそれが続いていたのかもしれない。

そもそもまだ終わっていないのかもしれないが、もう被害者でいることはやめようと思う。

自分を被害者と定義付けることをやめない限り、誰かを攻撃し続けてしまうのだから。