ひとりよがり

無気力美大生を経て社会人となったデザイナーの独り言

美大生は、良い意味で他人に無関心である

入学前の私にとって、美大とは個性や多様性が認められる自由な場所だという認識があった。

元々学校が苦手で、良くも悪くもあまり他人に関心がなかった私には、そういった環境がもし本当にあれば魅力的だと思っていた。

自分は自由に行動したい。
その代わり、相手の自由も認める。

私の人付き合いのスタンスは基本的にこういったところに根差している。

自分と性質の異なる人でも、出来るだけ嫌悪感を抱きたくないし、干渉はそこそこに留めておく。
程良い距離感を持つことで衝突を防ぎたいのだ。


所謂普通の大学生、特に文系の人達は、多くの人は学校での勉強の他に、サークルやバイトにも力を入れているイメージがある。(私の周囲にはそういう人が多い)

そこから生ずる多様な人間関係、繋がりがあるため、大きな世間の流れというものに乗りやすいのではないだろうか。
また一方そういった流れの中にいると、マイノリティに対する排除意識というものも出てくるかもしれない。

しかし美大生の会話で、たまに「一般大学生の同調意識が強いノリやテンションにはついていけないかも」といった話題が挙がることがあるのだが、少し偏見を持っているような気もしている。
美大は個性を許されるいい所だ、という特別意識というか、私達は普通の人達とは違う、という優越感を覚えている人をちらほら見かける。
その気持ちは分からなくもないが、私は美大というマイナーな居場所での選民意識は危険だと思っているので、そういった思考は控えるようにしている。


美大では基本的に制作が日常のメインとなるため、あまりサークルやバイトの優先順位は高くない。
皆自分の制作を第一として取り組むため、他人のことに構っていられないようなところがある。

そのため、他人の自由を許す寛大な心を持つ人が多いというよりも、自分のことに必死で結果的に人に攻撃的になる暇がないだけと言えるかもしれない。

しかしやるべきことのある人は他人に害をなさない、ということは素晴らしいと思う。

人生に目的を持って生きる人は、他者を排除したり迫害したり、そういった自らを貶めるような行為をすることはないだろう。
限りある自分のエネルギーの使い道を誤っては勿体ないと知っているからだ。


美大にいて良かったと思ったことの一つに、性的少数者への理解のある人が多いことがある。

私の周囲にはゲイやバイの人達が結構おり、それぞれ皆普通に受け入れられている。
隠すということもなく生活しているし、いちいち影で話題に挙がることもない。

私は恋愛をしたことがなく自分の嗜好がどうなのかよく分かっていないのだが、中高生時代には同性愛者なのではないかと疑われたり、今でも稀にそういった目を向けられることがある。
同性愛者や両性愛者だと思われることは全く構わないが、嫌悪感を含む小さな刺のある態度や言葉は、仕方がないにしても悲しいものだ。

世界や世間的には性的少数者の居場所は増えてきているし、昔より受け入れられているが、やはり身近な人となると難しい部分があるのかもしれない。

美大ではそういった扱いをされたことが一切ないため、とても居心地はいい。
人と違うことが推奨されるような場所なので、むしろ自分の普通さにコンプレックスを感じてしまうくらいである。


美大で4年間過ごしたが、自由さや過ごしやすさは概ね期待通りだったように思う。

多くの人が自らの取り組みに一生懸命で、その姿は美しく生命力に満ちているように見える。

自分の作品や人生の質を上げるために自分のために生きること。
それは決して自己中心という意味ではない。

自分のために時間や労力を使うことが、他人との良い距離感を生み、お互いの個を尊重することに繋がっていくのだ。