ひとりよがり

無気力美大生を経て社会人となったデザイナーの独り言

離人症と共に生きている

およそ高校2年生くらいから、離人感というものを自覚するようになった。

自分がここにいるという実感がない、テレビの画面を見ているような感じ、意識が薄くなるような感覚。
当時は離人症という概念を知らなかったので、何となく現実感が薄いなぁと思いながら過ごしていた。
今は日常的に離人感があるのが当たり前になっており、常にぼやっとしたベールに包まれているような状態である。
辛くはないのが救いだが、現実感が薄いため臨場感だとかその場にいなければ分からない高揚感だとかを感じにくいのが美大生として致命的である。

日常に問題が出なければ気にしなくていいと言われる離人症だが、少し専門家の意見が聞きたくなりスクールカウンセラーに相談しに行ったところ、美大生には離人症を抱える人が多いらしい。
作品制作を通し自己に向き合うストレスから発症してしまうのだろうか。
それとも元々そういった性質の人が美大を目指す人に多いのだろうか。

離人感をあえて治したがらない生徒もいると聞く。
デザイン科の私には必要が無い気がするが、アーティスト系の人にとっては離人感を通して世界を見ることが作品の糧になっているとしたら、それも良いだろう。

制作にとってプラスになるならば精神疾患でも何でもござれという考えは同業者として分からなくもない。

美大生には自分が特別であるだとか、人とは違うことに喜びを感じるタイプが一定数いるので、そういう人達はあえてそのままにしておくことで優越感を得られるかもしれない。
世界を自分と切り離して俯瞰して眺める、第三者的な感覚。
生きながら、普通に生活しながら現実逃避しているようなものである。


離人症を発症したきっかけは何だろうかと思い返してみると、やはり性格的な所から来ていると思う。 

小学生時代は親や先生に怒られることが最大の恐怖であったため、持ち物や宿題は絶対忘れないように何度も何度もカバンに入れたか確認した。入れたことを信じられずファスナーの開け閉めを繰り返した。
それでも万が一忘れた時はパニック。この世の終わりだった。
合宿中、家にある宿題のプリントの位置を正確に思い出せず、無くなっていたらどうしようと友達に言って変な目で見られたり。
遅刻しそうになれば半泣きで猛ダッシュ。
親や先生どころかその辺の人すら恐れるようになり、帰宅途中に誘拐されると思い込み、道端にしゃがみこんで泣いたこともある。 
今思うと頭がおかしいが、当時は必死だった。

怒られることの恐怖から悪いことは絶対しなかったため、大人からはいい子だと言われていたけれど、それは自発的な善ではなく、恐怖感を逃れる結果から生まれたもので、偽物だった。

大人から見た自分と、自分から見た自分が食い違っており、褒め言葉を貰っても自信や自己肯定感には繋がらなかった。


ストレスを感じたり、辛い目にあっている時に、『私がいるから大丈夫』と自分に語りかけることがあった。
自分をその状況から切り離すことで苦しみを軽減しようとした。

離人感とは現実を忌避しようとして生まれるものだと思う。

ストレスを外に発散する方法が分からず、内へと負のエネルギーが向かい、結果どうしようもなくなって現実から逃げ、一線を引こうとする。

当事者であることをやめて、物語を見ている観客のように全てを他人事にしてしまう。

それでも理性は働いているため、現実での行動におかしなことはあまり起こらない。
人から見れば特に変なところはないので、そのまま生きていける。

こんなことを言うと中二病にかかっているようだが、ゲームのアバターを動かすのと似ている。
私というプレイヤーはアバターを動かすことは自由にできるが、アバターの状況をリアルに感じることは出来ない。

思考と行動が別の場所で同時進行している。

何か起こってもそれはアバターの身に降りかかったことであり、プレイヤーにダメージはない。

ゲームでならそれでいいだろう。
しかし現実は違う。

困難や危機があった際、自分にダメージはないと《感覚》では思えるが、その出来事は事実として起こっていることであり、対処しなければならない。
しかし感覚が薄いので、何とかしようと行動に移すための感情的なエネルギーが生まれにくい。

間違った現実認識が、歪みをさらに深いものとし、より状況が悪化するのを眺めていることしかできなくなる。


苦境から離人感が生まれ、またその離人感から起こる苦境で離人感が加速するというループに陥ると、正常の感覚とは一体何であったか分からなくなる。

しかし離人症のおかげで現実に耐えられているという見方も出来る。
離人感がストレスから身を守ってくれる。
無理に治さない方がいいかもしれないとスクールカウンセラーも言っていた。

どう付き合っていくのが正解なのか。
自由に発動できるのが一番いいが、なかなかそうはいかないのが現状だ。